『逆』を愛せ
もし、今なにか大切なものを失いそうになっているなら、何が大切なのかわからなくなりそうなとき、一度それとは『逆』を考えてみてほしい。
ものの分析には客観性が必要不可欠である。
しかし分析するのは人であるため完全な客観性の排除は不可能である。
この事実はしばしば人の思考を妨害する。
その時『逆』の立場は有用である。
実はこの技法は文学でよく見られる。
友情を描くために喧嘩を交える、家族の絆を描くために一家離散の危機を挟む。
そうすることで主人公がそれらの大切さに気がつくというストーリーを何度も見てきた。
同じことを自分でもすればいいのだ。
現状に苦悩があるなら現状の逆を考えてみればいい。
そうすれば本当に必要としているものに気がつくだろう。
なんて綺麗事を言いたいのではない。
もっと重要なものことは、「逆を考えた結果、現状の問題点の大きさに気がつける」ということだ。
テスト、業績、人間関係。
色々な悩みの種があるだろう。
ではその種を捨てた自分を考えてみると良い。
実は無くてもどうにかなることが多いのではないか?
自身で気をもんでも仕方のないことが多いのではないか?
『逆』の状態のほうが幸せなのではないか?
『逆』の立場は悩みの種の選別をしてくれる。
確かにその種は簡単に捨てられないのかもしれない。社会とはそういうものだ。
しかしだからといって自分の幸福を捨てる方がよほどおかしい。
その種にはそれだけの価値しか無いと思えば気も楽だろう。
それでも残る種がある。
人はそれを試練と呼ぶ。
人生を豊かにするのは試練であっても悩みではない。
不要な悩みの種はいくら育ててもなんの果実ももたらさないだろう。