とある京大生の人生観

浅い思考の殴り書き

万物を想定せよ

 幼少期、祖父がこんなことを言っていた。

 「どんなことも、想定内にすれば怖くない」

 当時この言葉の深さはわからなかったが、今や私の座右の銘になっている。

 

 

 人は、というか動物は、自分の想定していないことが不得手である。

 パニックになって適切に対処できなくなる。

 これはもしかしたら何かしらの方法を取れば改善する性癖なのかもしれないが、残念ながら私は知らない。

 

 だが仮にそれがあったとしても簡単なものではないのだろう。

 そのことは学校の避難訓練の存在が示している。

 簡単なら子どもたちにそれを実践させればいい。

 そうではなく、授業を潰してでも避難訓練をするということは恐らくそのような裏技は存在しない。

 つまり人間は想定外そのものは克服できない生物なのだ。

 

 

 では想定外にどう対処すれば良いのだろうか。

 この答えがまさに私の祖父の言葉なのだ。

 

 つまり『想定外』を無くせばいい。

 だがそんな簡単に想定外をなくすことができないことはわかっているだろう。

 

 なぜお化け屋敷が怖いのか。

 いつ、どんなお化けが出てくるかわからないからだ。

 これらが完璧に推定できればそれに越したことはない。

 しかしそれは机上の空論であろう。

 現実社会に比べたらお化け屋敷のほうがよっぽど良心的である。

 それくらい現実は想定できない。至るところで多くの蝶が羽ばたいている。

 

 故に漠然とした不安に襲われ、鬱になる。

 

 

 

 だから想定外を無くせばいい、というのは理想論であり目標であるのだ。

 

 そうできるくらい努力しろ、という含みもあるし、想定内だけの世界で生きろ、とも取れるし、「世界は想定できない」という想定を持てというワイルドカードの意味もある。

 どう取るかは人の自由だし、同一人物でも置かれている状態によって答えは変わることだろう。

 それでもいい。

 大学生の私はワイルドカードの存在を肯定している。

 それでいい。と今は思っている。

 

 

 

 ただ、すべてを想定できた世界、それは存外つまらないものなのかもしれない。

 

 

 

 それを想定することもまたできない。