とある京大生の人生観

浅い思考の殴り書き

走れ、食え、寝ろ

 平日は忙しい。文字を書く暇も考える暇もない。

 しかしきっと社会に出たらもっと忙しくなるだろう。

 一生社会人になりたくないという思いが日々強くなっているが、現状の日本ではそういうわけには行かなそうだ。

 AIには是非とも頑張ってほしい。

 

 なんて言うのは冗談だとしても、きっと今以上に忙しく精神が参る時が残りの人生のうちに必ず訪れるだろう。

 その時、私の性格だと無意味に無駄なことをたくさん考え、杞憂し、絶望して、死にたくなる状態に陥る可能性が大いに考えられる。

 そうなったときのために今の通学生活で気がついたことを記す。

 

 

 気が滅入った時、精神が参った時、切羽詰った時、まず運動をしろ。そしてうまいものをたくさん食べて一度ぐっすり寝ろ。

 

 

 運動を軽視しているなら必ず考えを改めたほうがいい。

 魂は肉体に宿る。どうしても私は私の体からは逃れられない。生まれたときから死ぬまで一生仲良くしなければならない。

 健全な精神は健全な肉体に宿るというが、これは真理であって、私の思考は私の体に支配されていると言っても過言ではない。

 死ぬほど腹が痛いときに数学の問題など考えられるわけがないように。

 この例は極端だとしても、体調が悪かったら考え方も暗くなるものだ。

 

 この事実は人間として生まれた以上変えることは出来ない。

 だから利用してやればいい。

 死ぬ気で走れば何も考えられなくなる。

 どんなパソコンも電力がなければ動かない。

 人間もそうだ。

 体力がなければ脳は動かない。

 無駄な思考を一掃して再起動するという意味でも運動は有用だ。

 

 そしてその体を労るのは食事と睡眠の他ない。

 衣食足りて礼節を知るではないが、衣食が足りなくては精神に余裕が生まれない。

 一度自分の肉体と思考と精神を再起動するためにも運動と食事と睡眠は大切にしたほうがいい。

 

 

 自分に余裕がないと自覚するのは簡単なことではない。

 余裕が無いことにも気づけないから余裕がない状態に陥っているのだから当然である。

 しかし、私はこのブログを用いて余裕がない状態の想定を完了した。

 それだけでも余裕が無い中では余裕となりうる。

 こんな使い方がブログの正しい使い方かどうかは微妙なところだが、まあ今の私が満足できているのだからいいだろう。これからも思考・想定(・愚痴)の置場として利用したい。

 なんの話だがわからなくなったが、とにかく今回のまとめは、

 

 運動と食事と睡眠は脳を強制的にシャットダウンさせる効果がある

 

 ということで。