とある京大生の人生観

浅い思考の殴り書き

「識る」ことと「学ぶ」こと

 私は大学生なのでほぼ毎日大学に通っている。

 興味のあることやないことを勉強しているだけの生活を許されている期間である。

 講義を受けているとたくさんの知らないことを学ぶことができる。

 そんな時ふと思うのだ。

 「ああ、俺は何も知らないんだな。」と

 勉強とは皮肉なものである。

 知っていることが増えるとそれだけ知らないものの存在を識ることとなる。

 

 いつだったか人はどういう時知らないことを識るのかを考えたことがあった。

 その時私は一つの結論を得た。

 知らない領域の存在を認識するのは既知と未知の境界線に立った時ではないか、ということだ。

 

 今はいい、学問として学ぶものは多いことに越したことはない。知識の価値は後から付随するものだから。

 問題はそれが人生にも当てはまるものなのかということだ。

 よく考えてほしい。

 世界には知らないことのほうが多い。

 広く浅く色々なことを知ろうとすると何も知らない人になるぞ。

 大学は大きく学べばいいらしい。

 人生は言うなれば深学だろう。

 多く知ろうとせず、深く学べ。

 そんな風に思えるものを早く見つけられるように日々を生きろ。

 さもなくば、死を識るために生死の境界線をひた走るだけの人生が待っている。