とある京大生の人生観

浅い思考の殴り書き

ちゃんとした人になるために

 今週私はまた失敗した。

 

 前々から思っていたが、私はとにかく油断が多い。

 最後の最後で気を抜いて失敗することが人生で何度もあった。

 もうこれ以上同じ過ちを繰り返したくない。

 そういう動機で筆を執った記事である。

 もしかしたらこれは、私にとっては最も大事で私以外にとっては最もどうでもいい記事かも知れない。

 

 

 

 いつか取り返しのつかない失敗をするかも知れない。

 

 今回の失敗で強く感じた。

 もう子供ではないのに、あまりに注意力がない。

 そういう類の病気を疑いたくなるほどに油断が多い。

 

 この件で過去の失敗を振り返ってみた。

 やはりどの失敗にも「油断」がつきまとっている。

 少し早く課題が終わった時、いつも通っている道を歩く時、中のいい人といる時。

 少しの余裕と少しの慢心が生まれる時、必ず失敗している。

 

 幸運なのは私のスペックだと基本余裕はないことである。

 適度に不慣れで少し焦っている方がむしろ失敗しない。

 

 

 正直人間なんて程度の差はあれどみんなこんなもんだろうとは思う。

 思ってはいるがその程度が問題だとも思っている。

 そもそもこれは個人の問題であるから他人が同じようなものであっても不幸になる時は私1人に災厄が降ってくる。

 それこそここで油断すべきではない。

 

 ではどう対処しよう。

 これもまたありきたりだがとにかく確認するしか無いと思う。

 調子に乗っているときこそ最後の最後でしくじる。

 だから最後は立ち止まって確認する。

 発言する前、提出する前、発表する前。

 うまく言ったときほど疑ったほうがいい。

 自分はそういう人間だといついかなる時も忘れてはいけない。

 普段の道で転ぶのに慣れると、いつしか崖の前でも気づかずに転んでしまう。

 多少無様でも、傍から見たら不格好でも、決して転ばないようにゆっくり歩みを進めるべきなのだ。

 それが自然にできるようになってはじめてちゃんとした人になれる。

 私はまだその2段下にいると自覚しなければいけない。

 

 

 以上、私が自分の弱さを自覚するための儀式でした。