とある京大生の人生観

浅い思考の殴り書き

歴史の面白さ

 これまでの人生、理系ぶっていたのであまり歴史を真剣に学ぶ機会がなかった。

 そもそも理系に関係なく歴史を学ぶモチベーションがなかった。

 しかし二十数年生きてみてようやく歴史を学ぶ意味がわかった気がしたのでメモを残す。

 

 

 「歴史を学ぶ」とは「経験せずして失敗を知る」ことなのだ。

 私は歴史を学ぶことを人類の失敗例を抽出する行為だと思っている。

 もちろん成功例もある。

 しかしそれらは真に歴史とは言えないと思っている。

 

 ここで自然言語を厳格に定義するのは愚行だと思うが、私の歴史の定義を言いたい。

 歴史とは過去の出来事の集合であるが、全ての過去の出来事ではなく現在と切り離された(切り離されるべきだと思われている)出来事を指していると考えている。

 具体例で説明する。

 なにかの災害を考える。

 その災害に被災して今も仮設住宅などに住んでいる人にとってはそその災害は歴史とは言えない。

 しかし、直接被災していない人にとってはその災害は一時的な出来事でありすでに歴史の中にある。

 つまり現在視点での有り様で過去の出来事は歴史にも始まりにもなる。

 

 

 これらの考えを前提に成功の歴史を考える。

 そう考えると成功の歴史というのがそもそもおかしく感じられるのではなかろうか。

 現在視点で成功と捉えられている時点で、その過去の出来事は現在の開始時点であるだけでまだ歴史にはなっていない。

 歴史の大前提、既に完了していることに反している。

 これにより私は歴史を失敗例(現在視点で完了している出来事)の総体と捉えることにした。

 

 

 

 そう捉えると歴史の面白さが途端に判然とした。

 言ってしまえば人類のNG集なのだ。

 こうすれば失敗すると教えてくれる、こうすると不幸な結末になると伝えてくれる。

 人生という無限の選択肢のうち、取るべきでない選択肢を身をもって過去の人々は教えてくれているのだ。

 

 これが面白くないわけがない。

 どんなテレビ番組のお役立ち情報より役に立つ。

 

 

 

 

 

 私の歴史の定義と異なる考え方の人もいると思う。

 私が私の歴史を増やす過程でこの考えが変わるかもしれない。

 いずれこんな考え方も私の中で歴史になるかもしれない。

 それでも今はこの視点で歴史を楽しみたい。

 

 

 なぜなら歴史は往くべき選択肢は教えてくれないが、往かざるべき選択肢は教えてくれるから。

 

 今のうちに考え方の「歴史」を増やすのも悪くないだろう。