是れ知るなり
京大に通っていると周りに自分より数段頭のいい人がたくさんいる。
当然そういう人たちは私の想像も及ばないほど勉強している。
しかし、そんな勉強大好き人間と話すと決まって謙遜する。
「俺よりわかっている人がたくさんいる。」
「勉強すればするほどわからないことが増える。」
と。
頭のいい人は世界での自分の立場というか、自身の能力の自己認識が正しく出来ているのだろう。逆に頭の悪い人は自己の能力を測る能力も低いので自己を過大に評価しがちである。
これを心理学ではダニング=クルーガー効果というらしい。ちゃんと名前があることが驚きだ。
私が言いたいのはもちろんそんなことでない。
この現象が起こる裏側の事実が大切だと感じたのでこれを忘れないためにこの記事を書こうと思った。
それは「未知を知るためには知と能力が必要である」という事実だ。
無知の知と簡単に言うが、無知を自覚することはそう簡単なことでない。
もちろん言うのは簡単だ。
しかし自分で本当に納得するためには知と無知の境目まで辿り着かなければ無知の存在を本当の意味で自覚することはできないのではないだろうか。
そのためには相当の勉強や思考が必要になる。
知らないことを知る、というのは「知りうることを全て知る」必要があるのだ。
大学の勉強は難しい。生きていくうえではもっと難解な問題が待っているかもしれない。
もしかしたら私は知らないことを知るために知り続けるのかもしれない。
ちょっと大学の勉強が難しくておかしい文を書いてしまった気がする。今日は早く寝よう。